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歴史探訪

千葉県館山市歴史探訪
館山市の概要
館山市は、千葉県の南端に位置し、館山湾や太平洋に面しています。中世のころ、戦国武将、房総里見氏の城下町として栄え、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の舞台としても有名です。温暖な気候に恵まれた同市では、冬でもポピーやストックなどの花が咲き乱れ、満開の花畑を見ることができます。また、南房総国定公園に指定された31.5キロメートルの海岸線は、マリンスポーツや海水浴場として賑わい、他方では、県立館山野鳥の森が「森林浴の森100選」、平砂浦海岸付近は「白砂青松100選」や「日本の道100選」にも選ばれるほど、緑豊かな景観をもつまちとしても知られています。

館山のあゆみ
今から約6千年前から5千年前の縄文時代、館山の市域のほとんどが海面下にありました。市内で遺跡のあるところは、山の先端などが多く、遺跡を線で結んでいくと、当時の海岸線がわかります。この時代には既に人々が住んでおり、大地の上に竪穴式の家を建てたり、海岸にある波で削られてできた洞窟で生活していました。市内の貝塚からは、黒曜石がイルカの骨に刺さったまま出土していて、当時の人がイルカを獲っていたことがわかります。また、黒曜石は安房地方ではとれないため、この石がとれる伊豆半島や伊豆諸島の神津島などと、交流があったこともうかがえます。

安房の国は、奈良時代の養老2年(718年)に、上総の国から分かれてできました。国府は三芳村府中に置かれ、都からやって来た国の役人が国司を務めました。都との連絡をよくするため、上総の国への道が、国府から平久里川に沿ってつくられました。この道は東海道に繋がり、九州へ防人として警備に行く人や、都への税として、アワビや布を運ぶ人が利用しました。

平安時代になると、都から国司として来ていた貴族の中から、武力で問題を解決する武士になっていく者が現れました。房総半島では、万寿5年(1028年)に上総の国の上総介忠常(かずさのすけただつね)が反乱を起こしました。下総・上総に勢力をもっていた忠常が、国の財産や年貢の略奪を繰り返したため、房総は荒れてしまいました。しかしその後、土地は再開発によって荘園となり、開発を進めていった人々が安房の新しい武士になっていきました。

平家が滅び、鎌倉幕府が開かれたころ、安房の南部には、安西氏・丸氏・神余氏などの御家人がいましたが、その後、執権北条氏一族の勢力も及んでいたようです。室町時代に入っても、鎌倉が関東の中心で、安房とは強いつながりをもっていました。そのころ、鎌倉にいた足利氏と上杉氏は対立しており、足利氏は、側近の里見義実に命じて、安房から上杉氏を追い出そうとしました。義実が、安房の上杉勢力の追い出しに成功すると、やがて里見氏が安房の武士たちを従えるようになっていき、その後、6代義堯(よしたか)が房総半島全域に勢力を広げて、房総最大の戦国大名に成長しました。

里見氏は、最大の敵だった小田原北条氏と、幾度も戦を繰り広げましたが、豊臣秀吉によって北条氏が滅ぼされると、関東は徳川家康によって治められるようになり、安房の国の周りは、徳川氏の家臣で埋めつくされてしまいました。その中で里見氏は、安房9万石の大名として、国を支配するための城を館山に築き、城下町をつくりました。9代義康は、商人や職人を集めて、商売を盛んにするよう努めました。

江戸時代、義康が若くして病死してしまうと、長男の忠義が跡を継ぐことになりました。しかし、関東で唯一の外様大名だった里見氏を潰すという家康の狙いで、忠義は国倉吉(鳥取県)に国替えを命じられ、館山城は取り壊されました。その後の安房は、小さな大名の支配地や、それ以下の旗本と呼ばれる将軍直属の武士の支配地、幕府の直接支配地など、沢山の領主たちに分けられてしまい、江戸時代が終わるまでの間に、村の領主は何度も入れ替わりました。

明治時代になると、館山に新しい技術が入り、観光地としても賑わい始めました。水産業では、遠洋漁業が発達して、捕鯨の基地や魚の加工をする工場ができました。農業では、稲作の技術が改良されて収穫を増やしたり、神戸地区を中心に、野菜の温室栽培が行われるようになりました。畜産業では、牛の牧畜が盛んになって、北条にバターやアイスクリームを作る工場ができたり、房州の牛乳が東京まで運ばれるようになりました。
これらの産業を支えたのは、明治11年(1878年)に航路ができた蒸気船でした。蒸気船によって東京との往来が便利になると、鏡ヶ浦の海岸に別荘ができ、保養や病気の療養に来る人、海水浴に来る人が増加しました。明治45年(1912年)から鉄道建設が始まり、那古船形駅・安房北条駅(現・館山駅)・九重駅が開設されると、東京まで約4時間で行けるようになりました。

太平洋戦争が始まると、東京湾の入口にあることから、首都防衛の重要地点として、館山には海軍の航空隊基地や兵隊学校ができました。町は軍人で溢れ、基地のまちとしても栄えました。そんな中、昭和14年(1939年)の市制施行によって、館山市が誕生しました。
終戦後、昭和29年(1954年)に、神戸村・富崎村と合併し、現在の市域になると、新しい観光都市館山として、まちづくりが進められました。昭和33年(1958年)に南房総が国定公園になってからは、広い道路や新しい道路がつくられ、城山公園や平砂浦が整備されていきました。そして現在は、夏の海水浴だけでなく、花の名所として、また豊かな自然景観をもつまちとして魅力あるまちづくりを推進しています。


館山の名前の由来
館山という地名は、城山に戦国大名・里見氏の居城があったことから「館山」と呼ばれるようになったことが由来となっています。


館山の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
館山市立博物館
住所: 〒294-0036
千葉県館山市館山351-2 [地図を見る]
電話番号: 0470-23-5212
開館時間: 9:00〜16:30
休館日: 毎週月曜日(祝日にあたる時は開館)、祝日の翌日(連休になる場合は開館)、年末・年始(12月29日〜1月3日)、臨時休館(館内の消毒薫蒸作業の実施時)
入館料: 一般・高校生150円(80円)、小・中学生80円(50円)
※()は20名以上の団体料金です。
※市内の小・中学生は、土曜日は無料で見学できます。
※60歳以上の市民の方は無料で見学できます。







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